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土木遺産第64回 九度山町にある2基の特異な煉瓦拱橋(1) 大師第16号拱渠

土木遺産第64回 九度山町にある2基の特異な煉瓦拱橋(1) 大師第16号拱渠

2026.2.16

斜橋でありながら煉瓦を水平に積んでいる大師第16号拱渠

九度山町は、和歌山県北東部に位置する人口3,500人余りの町である。高野山を開いた弘法大師が月に9度山を下りて町内の慈尊院に住む母を訪れたことからついた地名という。九度山町は、高野山から発する不動谷川が丹生川と合流して紀の川に注ぎ込む地点にあり、1901(明治34)年に紀和鉄道(現在のJR和歌山線)に名倉(現在の高野口)駅が開設されたのを契機に高野山への登山口としてにぎわった。現在は南海高野線が大阪に通じており交通は便利であるが、人口は年々減り続けている。産業としては農業が中心であり、柿で名高い。

高野山参詣の中継点であった当地に高野山への鉄道を敷設する動きが始まったのは、「高野大師鉄道」が設立された1920(大正6)年のことだった。同社は汐見橋~橋本間の鉄道を経営していた「大阪高野鉄道」が設立した会社で、社長に根津 嘉一郎(1860(万延元)年~1940(昭和15)年)を据えて建設を始めた。しかし、紀ノ川を渡ることができず、1925年に大阪高野鉄道ともども「南海鉄道」に併合される。これにより工事は遅滞なく進められ、28年に九度山から現在の高野下までが開通して、難波からの直通運転が開始された。

 

本稿で 特異な煉瓦拱橋として紹介するのは「大師第16号拱渠」だ。九度山駅から南に900m余り進んだところにあり、太利(ふとり)池から流れ出る小川やそれに沿う里道と約70度の角度で交差し

ている。交差物件に対して斜めに煉瓦拱橋を架ける場合、ねじりまんぽの技法が使われることはすでに紹介したが、本橋は驚くべきことに斜橋でありながら、標題の写真にあるように、直橋と同じように煉瓦を水平に積んでいるという不思議な構造物である。稀な施工例だ。

これは、煉瓦構造物の理論では脆弱な構造と言わざるを得ない。すなわち、理論では煉瓦と煉瓦の間では圧縮力しか伝達しないことが仮定されており、斜橋において上載荷重を圧縮力として全幅員で伝達するために煉瓦を斜めに積むのがねじりまんぽであった。が、実際には目地のモルタルによって煉瓦はある程度は一体化されている。よって、本橋が成立しているのだと言える。

 

図1 大師第16号拱渠及び隣接する九度山発電所水路橋の位置

 

参考文献によれば、当時はねじりまんぽの設計について、投影図を描いたり展開図を作成するなどの図学的設計法がいくつか存在していた。ねじりまんぽに関する外国の文献を毛利 重輔と伊藤 鏗太郎が翻案した「斜架拱」(1899(明治32)年刊行)では、三角関数を使った計算式を27も掲げる(前稿で示した交差角と煉瓦の傾きの関係を示す式もこの中に含まれる)一方、これは当時の技術者の数学的知識や計算技術からかなり困難であろうとの考慮からか、併せて「バアロー」氏のノモグラムによる図解法を例題付きで解説している。また、松永 工、飯田 耕一郎の共著になる「アーチ設計法」(1907(明治40)年刊行)では、螺旋式、対数曲線式、カウスホーム式(Cow’s Horm Method)の3種類の設計法が掲げられている。

先に紹介した琵琶湖疏水のねじりまんぽでは、煉瓦の傾きが理論値と8°ほど異なっていた。これは、当時の図解法により得られた値が解析的に求められる理論値と比べて多少の誤差を含んでいたためと考えられる。

交差角が約70°である本橋の場合、ねじりまんぽにした時の煉瓦の傾きは13°ほどになるはずである。設計者は、目地の効果を見込めばこれを0としても誤差の範囲内だと判断したのだろう。この判断は理論より危険側にあるため、この方法での建設を決意するためには、目地によりどの程度の一体化が期待できるのかを確かめておく必要があると思われる。しかし、管理者である南海電鉄によれば設計・施工段階の資料は残っていないそうで、どのような検討を行ったかは不明だ。

よって、ここからは筆者の想像である。本橋が架けられた大正時代には、関西を中心に30基ほどのねじりまんぽがすでに供用されていた。これらを観察した技術者の中には、煉瓦の傾きにばらつきがあることに気づいた者もあったのではないか。事実、煉瓦の傾きの理論値と実測値の比較が参考文献に掲載されており、これによれば実測値が理論値とほぼ一致しているものがある一方、実測値が20°近くも大きいものもあるようだ。また、明治の半ばからガウス(F. G. Gauss)が作成した対数表や三角関数表がわが国でも紹介されており、これに接した技術者には「斜架拱」に示された式で解析的に解を得ることが可能であったかも知れない。明治時代に図解法で設計・架設されたねじりまんぽが煉瓦の傾斜に誤差を有していても問題なく供用されていたことから、本橋の設計者は多大な労力をかけてねじりまんぽを設計する必要性を感じなかったのではなかろうか。

 

図2 アーチ部のみ煉瓦の端面がそろっていない
図3-1 大師第16号拱渠の東側ポータル
図3-2 大師第16号拱渠の西側ポータル

 

管理者である南海電鉄の案内で本橋を訪問する機会を得た。アーチ部を4層の煉瓦で巻いているが、図2のように、アーチ部の煉瓦の端面がポータル面にそろっていない。これが斜橋であることのひとつの証である。東側ポータル(図3-1)からはあまり感じないが、国道に面する西側ポータル(図3-2)からは水路にやや張り出して通路が設けられ側壁がかなりの高さをもっていることが看取できる。

 

図4 大師第16号拱渠に見られる煉瓦の刻印

 

天端には図4の刻印があった。これは、現在の大阪市西成区にあった「津守煉瓦」か、同社の関係者が大阪狭山市で経営していた「大阪煉瓦」のものと思われる。いずれも南海高野線の沿線だ。

なお、管理者によれば、本橋は現状において全く問題なく使用できているということである。

図1には「九度山発電所水路橋」も示してある。こちらもたいへん珍しい煉瓦拱橋であるので、次稿でご紹介したい。

 

(参考文献) 河村 清春ほか「関西地方の鉄道における「斜架拱」の分布とその技法に関する研究」(土木学会「土木史研究」第10号所収)

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