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土木遺産㉛ 大阪を高潮から守った3基の防潮水門

土木遺産㉛ 大阪を高潮から守った3基の防潮水門

2022.9.2

閉鎖操作中の安治川水門

 

 2018(平成30)年9月4日、台風21号が大阪を襲った。この時、高潮で大きな被害を受けたところもあったのに対し、大阪市内ではほとんど浸水を見なかった。

 もともと大阪は淀川の河口に開けた低い土地である。さらに工場などからの地下水採取も加わっていわゆる海抜0メートル地帯が広がり、大きな台風が来るたびに広い範囲で浸水していた(図-1)。このような被害の再発を防ぐ恒久的対策として、1965(昭和40)年から始まる「治水事業後期5箇年計画」において、連続した防潮堤を築くとともに、大阪湾に流入する安治川、尻無川、木津川の河口近くに大きな防潮水門を設けることが決まったのである。

図-1 大阪に大きな被害を与えた3つの台風の浸水範囲

 このように規模の大きい水門はわが国に例がないものだった。オランダのレック(Lek)川のアーチ型水門を参考に、学識経験者からなる委員会を設置して波圧・耐震・耐風について模型実験や解析を行って設計が進められた。施工面では、水面下50mの深さにある支持層まで基礎を掘り下げなければならない難工事であった1)。3基の水門のうち1970(昭和45)年3月に完成した安治川水門へは、大阪万博の開会式に向かわれる上皇陛下(当時は皇太子)が視察に立ち寄られている。

 防潮水門はたまにしか使わない施設だがいざという時に使えないと意味がない。管理する大阪府では、毎月1回(6月~10月は2回)試運転を行って稼働を確認してきた。それが過日の台風21号に際して適切に操作され、大阪を水害から守ったのだった2)

近年、水門には津波を防ぐ機能も求められるようになっている。現有施設が50年を経過していることもあり、府では、新しく水門を作り替えることを予定している。

 

図-2 尻無川水門(左)と木津川水門(右)、副水門と操作棟の配置は異なるが安治川水門と同じ設計だ

 

1)尻無川水門においては、1969(昭和44)年11月25日午後7時40分、水門の基礎を掘削する工事中、ケーソンのボルトが破断したため瞬時のうちに地下水が湧いてきて、作業中の11名が逃げ遅れて死亡するという痛ましい事故が起こっている。調査の結果、ボルトがリサイクル品でありかつ締め付け力の管理がされていなかったために強度が不足するものがかなり混じっていたことが原因とされ、以後、JIS規格の新品を使うことが徹底された。左岸側の水門敷地内に慰霊碑がある(下図)。

2) この時の映像を大阪府が公開している。次のリンクは、木津川水門が約3mの潮位差を防いで市街地を浸水から守っている状況。

20180904 木津川水門のようす(台風第21号 高潮)

(出典) 「関西の公共事業・土木遺産探訪<第3集>」 p20

※上記の図書は書店では扱っておりません。お求めはこちらをご覧ください。

(一財)阪神高速先進技術研究所 書籍販売

筆者:坂下 泰幸

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