2025.9.26
大宮橋-わが国最古の鉄橋が現役で活躍

大阪市北区の「十三小橋」のすぐ西に架かっていた「浜中津橋」が、明治7(1874)年に神戸~大阪間に開通した鉄道に架けられた4つの鉄橋のひとつ「下十三川橋」に使用された70ft(約21.3m)ポニーワーレントラスを転用したものであることはすでに紹介した。下流側の主構は、イギリスのダーリントンアイアン(Darlington Iron)社から輸入した錬鉄製である。上流側主構は明治29(1896)年の複線化に際して追加されたものでポーナル(Charles A. W. Pownall)が設計し、鉄道作業局神戸工場で製作した。浜中津橋は、淀川左岸線(2期)事業に支障することから、令和4(2022)年7月に撤去されて現在は西淀川区内に保管されている。
表1のように、浜中津橋の下流側主構は、橋梁として現存するわが国最古の鉄橋であったことが判明している。

このたび、同じような橋梁がもう1基あるのではないかとの連絡を受けて、熊取町の「大宮橋」を訪れた。大宮橋は、(旧)国道170号が見出川を渡る箇所に架かるもので、府の橋梁台帳では、昭和6(1931)年に架設され橋長は21.6m、幅員は6.0mである。
この道路についての最も古い記録の存在は大正12(1923)年で、府道水間佐野線に認定されたとある。当時の幅員は1.5間(約2.7m)であった。これが昭和6年になって、大阪府の十大放射と呼ばれる幹線道路を環状に連絡する道路のひとつとして改修することが決定され、翌年から予算を付けることとなった(「道路の改良」第13巻第3号)。ところが、村では翌年の予算化を待たずその年のうちに村の手で改修してしまったようだ(「熊取町史」)。これが現在の大宮橋である。
外観は表題の写真のとおりで、上路橋1)に改築されているものの、剛結された長方形の枠内にワーレン型に8対16本の斜材をピン結合で配置している主構が、浜中津橋と類似していることは一目瞭然である。参考文献1では、管理者から提供を受けた橋梁台帳の概略図と明治時代の記録とを比較するなどして、大宮橋が明治初期に東海道本線の橋梁に適用された70ft桁と寸法等がほぼ一致することが示された。また、大宮橋と浜中津橋の主構に使用されているピンやリベットを可能な範囲で比較してみたところ、大宮橋の2つの主構は、浜中津橋の下流側(当初の中央用)の主構とよく一致していることが確認できた。
道路管理者には本橋の建設記録が残っていないそうで、これが明治7年に架けられた鉄道橋の生き残りであることを資料から裏付けることはできなかった。しかし、観察から得られた浜中津橋との一致を見れば、これが当初の中央用の主構であることはほぼ確実であろう。
長柄橋にも十三小橋にも転用されなかった下十三川橋の3主構が大阪府に残されていて、そのうちの2主構がここで使用されたと考えられる。本橋は上路橋であるので、サイズの異なる中央用の主構と側部用の主構を混用することは不都合なことから、中央用の主構が2つ使われたのであろう。よって、本橋の主構は明治7年に架設された神戸~大阪間の鉄道橋を転用したものと思われ、錬鉄製であると推定される。
これを明らかにするため、筆者も参加する「関西地区に存在する明治期のトラス形式鉄橋に関する調査研究会」が設置され、令和5(2023)~6年度に土木学会関西支部の助成を受けて、浜中津橋下流側主構と大宮橋の2基の主構について、鉄材の成分分析を行って性状の異同を明らかにすることを試みた。
鉄材の成分分析で最も重要なのは炭素量である。鉄は含まれる炭素の量により性質が変化するため、製鉄に際して炭素をコントロールする方法がさまざまに研究されてきた。1855年に鋼鉄の大量生産の手法が開発される以前は、パドル法(攪拌精錬法)により錬鉄を製造していた。パドル法とは、反射炉2)にあけた小窓から鉄の棒を差し込んでかき回しながら製鉄する方法である。炭素が減ると鉄の融点が上がるが、当時の技術では炭素の少ない鉄を溶融するほどの高温が得られなかったため、半溶融状態になった鉄をかき回して反応を継続させる作業が必要になるのである。その結果、 錬鉄は炭素の含有量が極めて少なくなる。
ただし、パドルの操作は人力によっていたため、錬鉄は成分が炉の中で不均質になる恐れがある。よって、錬鉄橋であることを成分分析により判断しようとする場合では、炭素の含有割合を比較するだけでは不十分で、微量な不純物の有無も含めて判定することが望まれる。そこで、本調査では、炭素(C)、ケイ素(Si)、マンガン(Mn)、リン(P)、硫黄(S)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)、銅(Cu)、スズ(Sn)、鉛(Pb)の10元素を分析対象とした。
大宮橋上流側主構、下流側主構、浜中津橋下流側主構からそれぞれ採取した試験片について分析を行った結果は、表2及び図1のようであった。


3試験片とも炭素の含有量が0.01%と少なく、浜中津橋が錬鉄であることが確認できたとともに、大宮橋も錬鉄であることが明らかになった。また、その他の元素の含有率を見ると、ばらつきはあるものの、マンガンが比較的少なくリンの含有量がやや多く硫黄の含有量はかなり少ないなどという共通の特徴が見られる。
錬鉄に含まれる元素の含有率は、もとの鉱石の成分、炉の温度及びかきまぜ作業の入念さなどにより変動するものと思われる。3基の主構の成分にこれほどの類似が見られることに、両橋の鉄材は同一の仕様により作られたものであると判ぜられる。すなわち、大宮橋は、浜中津橋下流側主構と同様に、明治7(1874)年に開通した鉄道橋を転用したものであることが解明された。
今回の調査により、大宮橋が明治7(1874)年に開通した鉄道橋を転用したものであることが示され、浜中津橋がそうであったようにわが国最古の鉄橋であることが判明した。浜中津橋が撤去されている現在では、唯一の遺構として貴重である。現状ではその事実は一般に知られていないので、今後、本橋の顕彰等を行い、地域のアイデンティティの向上や本橋の愛護につなげていくことが求められる。また、浜中津橋の下流側主構と大宮橋の同一性が示されたので、浜中津橋の錬鉄材について、引張強度、ヤング率3)、降伏点4)等の材料特性を調査し、大宮橋の合理的な管理に生かすことも可能となった。
(参考文献)
1) 主構の上に路面をおく形式の橋梁のこと。2つの主構を結ぶ横桁などを路面下に設置することで強度を増すことができる。
2) 金属融解炉のひとつで、燃焼室で発生した熱を炉の天井や壁で反射させることにより高温を得る方式。主に18~19世紀に使用された。燃料と金属が接触しないので燃料からの不純物の混入がないという特徴を持つ。
3) 力が加わった際に変形する程度を表す係数。縦弾性係数とも言う。イギリスの物理学者トマス・ヤング(Thomas Young、1773~1829年)に由来する。
4) 金属を徐々に強い力で引っ張ると、始めは力に比例して伸びていくが、あるところで伸びが急速に増えていくようになる(これを降伏という)。この現象が起こる点のこと。
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日本の橋梁史の上でも、非常に貴重な発見ですね。
現在土木学会の委員会で作成を進めている、「歴史的鋼橋100選(仮称)」の中でも、さっそく本橋をその一つに選定して、2026年の出版を目指しています。
一般の橋梁マニアの目にするところとなれば、この橋の存在も広まっていくと思います。