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土木遺産㉕ 鵬雲洞・毛見隧道

土木遺産㉕ 鵬雲洞・毛見隧道

土木遺産㉕ 鵬雲洞・毛見隧道

2022.4.5

鵬雲洞の和歌山側坑口、ここを複線の電車が走っていた

 

 1971(昭和46)年に廃止になるまで、和歌山には路面電車が走っていた。南海電車和歌山市内線である。市内と言いながらも隣の海南市まで伸びており、南海和歌山市駅と国鉄和歌

山駅前から海南駅前に達する電車が走っていた(途中の和歌浦口から新和歌浦への支線もあった)。和歌山と海南の間には、船尾(ふのお)山(H=153.7m)から西へ毛見崎に伸びる急峻な尾根がある。ここを含む紀三井寺~琴の浦間3.86kmは専用軌道になっており、電車はここをトンネルでくぐっていた。このトンネルの名を「鵬雲洞」という(標題の写真)。

図-1 鵬雲洞及び毛見隧道の位置

 

 電車が廃止されて軌道敷は紀三井寺公園から南に延びる「紀三井寺緑道」という遊歩道として整備されている。それを辿った先に鵬雲洞はある。延長184.47m。1911(明治44)に当時の「和歌山水力電気」が開通させた。盾状の迫石と帯石、笠石を有し壁面はイギリス積みの煉瓦という一般的な坑門であるものの、和歌山側には楷書で「鵬雲洞」、海南側には篆書で「天開圖畫」と記した扁額が掛かっている。内部は、現在はモルタルが吹き付けられているが、もとは素掘りだったようだ。

 一方、道路交通においても、自動車の発達とともにここをトンネルで抜ける必要が感じられ、1925(大正14)年に当時の県道和歌山御坊線(熊野街道)に「毛見隧道」が開鑿された。延長142.0m、幅員5.2m、高さ4.5m。迫石、笠石、帯石には花崗岩を使用し、壁面は和歌山特産の青石1)をふんだんに用いている。和歌山側の扁額は「毛見隧道」。揮毫者の「久一」とは、1927年まで知事を務めた長谷川久一のことと思われる。反対側の坑門には「乾坤純和」という扁額が掲げられている。交通の難所を解消した本トンネルの功績を讃えているようだ。扁額の上にはのこぎり状に石を配したデンティルも見える。このトンネルで特徴的なのはピラスター(壁柱)が地面まで達していないことだが(おそらく坑門工の幅員が大きくとれなかったためと思われる)、この印象的な意匠が壁面を引き締める効果を挙げている。

 国道42号には1971(昭和46)年と1994(平成6)年に計4車線の「新毛見トンネル」が建設され、現在は毛見隧道は北行き一方通行の道路として供用されている。

1) 緑泥片岩のこと。水がかかるとさらに青みを増すといわれる。中央構造線の南縁で産出し、紀州のほか伊予・阿波・伊勢が産地として知られる。

 

図-2 毛見隧道の海南側坑口、花崗岩と青石の対比が美しい

筆者:坂下 泰幸

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