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土木遺産㊹ 吉野川分水-総合開発により実現した県民の悲願

土木遺産㊹ 吉野川分水-総合開発により実現した県民の悲願

2023.12.20

下渕頭首工で採取した水は左の函渠から奈良盆地に送られる

 

奈良県の北西部に位置する奈良盆地は、南北約30km、東西約16kmの平坦な地形であり、古くから農業が盛んであったが、年間降水量が1,200~1400mmと乏しい上に、盆地を流れる河川の集水域が狭いため、絶えず水不足に悩んでいた。

 

ところで、奈良盆地から山一つ隔てたところでは、全国有数の多雨地である大台ヶ原山を水源とする吉野川が蕩々と流れている。しかし、吉野川は中央構造線1)に遮られてそのまま和歌山県に行ってしまうのだ。“どうして奈良県に降った雨を奈良県で使えないのか”という素朴な疑問はやがて“是非ともこれを奈良盆地に導きたい”という願いに変わる。元禄年間(1688~1703年)に名柄村(現在の御所市)の庄屋 高橋 佐助が吉野川から引水する計画を提案したと言われるし、明治に入ってからも奈良県や農林省が繰り返し吉野川分水計画を作成した。しかし、「奈良県へは一滴の水もやれぬ(昭和4年4月18日付け大阪毎日新聞)」という和歌山県の反対にあい、ことごとく実現しなかった。

 

この挫折を乗り越えるためには和歌山県側の実情を知ることが必要と考え、紀の川(吉野川の和歌山県での呼び名)の水受給を調査する。その結果、奈良県の人にとって意外なことに、和歌山県の農民も水不足に苦しんでいたことがわかったのだ。すなわち、紀の川は河況係数(最大流量と最小流量の比)が3,740もあり、降れば大洪水、日照れば大渇水という、農民泣かせの川だった。しかも、和歌山県側の水田は保水力に低いいわゆる“ざる田”であって、潅漑のためにより多くの水を必要とするのだった。こうして、吉野川分水の計画を進めるためには、和歌山県の悩みも同時に解決しなければならないと言う認識が得られた。高橋 佐助が吉野川分水を思いついてからおよそ250年が経っていた。

 

ここでわが国は第2次世界大戦を迎える。戦後、荒廃した国土の回復と食料の増産が叫ばれる中、アメリカで著しい成功を遂げたテネシー川総合開発(TVA)にならって1947(昭和22)年に策定された「復興国土計画要項」に12水系の総合開発が盛り込まれたが、そこに紀の川と十津川が含まれた。3年にわたる調査により、渇水期における用水の不足量は奈良県で5,000万m3、和歌山県で7,000万m3と算出され、これを解消するため「十津川・紀の川総合開発計画」が策定された。50年6月、京都に関係者が集まり計画に合意。その場で調印式が執り行われた。計画の概要は次のとおり。①吉野川上流に「大迫ダム」・「津風呂ダム」を建設して流量をコントロールする。「大迫ダム」では発電も行う。②「下渕頭首工」から吉野川の水を奈良盆地に導き、盆地の東西を北流する幹線水路を通じて農業用水及び水道用水を供給する。③十津川上流に「猿谷ダム」を建設し、発電を行いつつ水をトンネルで丹生川に流す。丹生川に設ける「西吉野頭首工」から「紀の川用水」を建設し、紀の川右岸の河岸段丘を潤す。④紀の川支流の貴志川に「山田ダム」を設ける。⑤紀の川にあった井堰を近代的な頭首工に置き換える。

図1 十津川・紀の川総合開発計画の全体像

 

事業は農林・建設両省が共同して実施するという全国でも極めて珍しい方式で行われ、かつ、両県の合意が破綻しないよう、進捗の都度、関係者が協議を行うなど慎重に進められた。そして74年にはダムや頭首工などの主要施設が完成し、併せて、「国営十津川紀の川土地改良事業」が施行されて農業用水路などの利水施設が整備された。

 

奈良盆地に引水する吉野川分水の起点となる「下渕頭首工」(表題の写真)は、近鉄吉野線の下市口駅から西に10分ほど歩いた大淀町下渕にある。十津川・紀の川総合開発で計画された基幹施設の中で最後に行われた事業であって、1972(昭和47)年に着工して74年に完成した。高さ2.9m、長さ58.6m(うち固定部30.1m、可動部28.5m)の堰で、最大10.98m3/秒の取水が可能だ。付帯設備として流筏路と魚道を有する。

 

ここで得た水は、連続した2本のトンネルで御所市樋野まで導かれる。1号トンネルは3,199m、2号トンネルは1,711mの延長を有するが、これらの導水トンネルは比較的早く、1953(昭和28)年に1号トンネルの導坑に着手する形で着工されている。この1号トンネルは、中央構造線を横切るため、工事に当たっては大量の湧水に悩まされた。国営事業所の工事記録はその難工事ぶりを「しかるに29年9月19日湧水が激増し、切羽よりは56ℓ/sに達しついに導坑7mが崩壊し、支保工の補強と土砂流の減勢に当たったが、崩壊は続いて起こり切羽は13m後退した。(中略)12月24日切羽において6.4mの大崩壊が起り、復旧の見込みたたず・・・」と伝える。技術的な検討会議が精力的に開かれ、翌1月に圧気工法の採用を決断。9ヶ月にわたり坑内圧0.844~1.125kg/cm2の中で作業が継続され、その後は特段の事故もなく1956年2月に貫通を果たした。他の施設はできていなかったから0.16m3/秒というささやかな水量に過ぎなかったが、これにより、暫定的にせよ吉野川の水が初めて奈良盆地に流れることになった。

 

2号トンネルを出たところで「東西分水工」(図3)により「西幹線水路」と「東幹線水路」に分かれる。これらの幹線水路の着工は56年11月。起工式に出席した知事は「奈良盆地の一部に待望の導水が実現した。この喜びを更に前進させるため協力をお願いしたい」と挨拶している。西幹線水路は、ここからサイホンで曽我川とそれに沿うJR和歌山線・近鉄吉野線・国道309号をくぐり、巨世(こせ)山と呼ばれる丘陵地をトンネルで北西に向かう。

図2  2号トンネルを出るといよいよ奈良盆地だ

図3 東西分水工で左に折れる西幹線水路

 

いくつかのトンネルを抜けて御所市西寺田に達した西幹線水路は、葛城川や高田川に沿う低地をサイホンでくぐりながら、盆地を取り囲む山裾を北に流れる2)。その後、長尾水路橋(葛城市兵家)を経て、曼陀羅とボタンで有名な當麻(たいま)寺の背後をトンネルで抜けた西幹線水路は、葛城市染野で一部を県営幹線水路に分け(図4)、残りは「馬見サイホン」(L=4.01km、φ=700mm)に吸い込まれていき、香芝市別所にある「末端水槽」3)(図5)に湧き出て、ここで県営の幹線水路に分水される。下渕頭首工から約25km。この間、西幹線水路は75に及ぶ分水工を通じて4.74m3/秒の用水を供給して46.9km2を潅漑している。一方の東幹線水路は5.00m3/秒の水を供給して50.9km2を潅漑しており、合わせて奈良盆地の1/3に当たる。

図4 馬見サイホンの呑み口、ここから4km先の馬見丘陵にある末端水槽まで送られる

図5 住宅地の中にある末端水槽、円形分水工により県営幹線水路に分水される

 

だが、国営事業が最盛期を迎えた1970年ころは、奈良盆地は大阪への通勤圏に包含され、主に丘陵地を開発する住宅公団だけでなく、中小の開発業者が鉄道沿線に戸建て住宅を続々と建築・分譲していた。また、69年に西名阪道が開通すると、盆地の中央部にはいくつもの工業団地が作られた。農地の潰廃の圧力は否応なく強く、飯米確保分だけ耕作して兼業化する農家が目立った。これらの動きは用水需要の緩和に向かうだけでなく、農村的基盤に立脚した県政のあり方をも揺り動かす。吉野川分水は、このような変化を横目で見ながらの事業であった。県土の変貌を身近に感じてきた筆者にとって、国営事業が完成した74年というのは、この事業の意義や効果を判断する上できわめて微妙な時期であったように思える。

図6 国勢調査に見る奈良県の郡部と市部の人口、1965(昭和35)年頃から市部の人口増加が著しい、なお 郡部と市部の区分はそれぞれの調査時点におけるもの

 

吉野川分水が実現までにこれほど手こずったのは、紀の川水系が奈良県と和歌山県に分かれており、両者の利害や意見の相違を埋めるのに時間を要したからに他ならない。この調整が有効に機能するためには、地域を越えた問題について地域間の調整を責任を持って行える仕組みを導入することが不可欠であろう。吉野川分水の経緯を繰り返さないことを願うならば。

 

(参考文献) 吉野川分水史編纂委員会「吉野川分水史」(奈良県)

 

1) 明治政府の招聘により来日していたドイツの地質学者 ナウマン(Heinrich E. Naumann、1854~1927年)が、わが国の地質図を作る過程で発見した1,000km以上に及ぶ大規模な断層帯。日本列島の生成期にできたもの。東日本では、後にできた糸魚川-静岡構造線に影響されて不鮮明な所があるが、群馬県や埼玉県でも確認されている。

2) 地表を流れる部分は、建設当初は開水路であったが、転落防止や維持管理の軽減(藻の発生抑制・ゴミの投棄防止)のため、国営大和紀伊平野土地改良事業(1991(平成3)~2013(平成25)年度)でもって蓋かけを行っている。

3) 丘陵地が開発されて住宅地の中に立地することになってしまったため、2007(平成19)年に防音装置のついたものに作り替えられた。

 

 

 

 

 

 

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