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土木遺産② 三栖(みす)閘門(こうもん)※1-伏見港繁栄の記憶を伝える土木遺産

土木遺産② 三栖(みす)閘門(こうもん)※1-伏見港繁栄の記憶を伝える土木遺産

2020.11.20

 

酒蔵から出発した十石舟が到着する三栖閘門

 伏見は宇治川右岸に開けた河港で、京都から高瀬川や琵琶湖疏水(鴨川運河)を舟で運ばれてきた貨物はここで淀川を下る船に積み替えて大阪に送られていた。ところが、1917(大正6)年に発生した洪水で伏見の広い範囲が冠水したことをきっかけに、翌年から淀川改修増補工事が施され宇治川の右岸に連続した堤防が築かれた。この結果、伏見港から宇治川に自由に行けなくなり、そのために設けられたのが三栖閘門である。1926(大正15)年に着工して1929(昭和4)年に完成した。竣工した頃は軍需拡張を目的とした舟運機能の向上が求められていたこともあって、石炭などを輸送する船が年間2万隻以上も通航したという。しかし、その後は淀川の水運は陸上輸送にとって代わられ次第に衰退した。よって、宇治川が浚渫されて閘門が機能できなくなっても再建されずにそのまま放置された。

 それから40年近くたった2000(平成12)年、国土交通省は閘門を修復保全し、周囲を「伏見みなと広場」として整備することとした。これに呼応して、地域の歴史・文化の継承・活用を希望する地元の有志らが十石舟や三十石船をここまで運行することが決まった。季節により異なるが1日20便ほどが三栖閘門を訪れる。かつての操作室は三栖閘門資料館として復元整備された。説明員が駐在し、パネルや模型で三栖閘門が伏見の水運に果たした役割をわかりやすく展示している。また、後扉の巻上機を地上に降ろして展示するとともに、塔屋に登って展望できるようになっている(要予約)。

図-1 鋼材をふんだんに使った力強い造形だ
図-2宇治川に面した扉体は洪水防御の役割も負っており、水圧を考慮して外側に湾曲している
図-3 塔屋にあった巻上機がモニュメントとして展示されている
図-4 かつての操作室を活用した三栖閘門資料館

※1 閘門とは、前扉と後扉の間の閘室の水位を調整することで水位差のある水域を船が行き交うことを可能にする施設のこと。下図は、水位の低い左側から高い右側に船が進む場合の運用を示す。

 


筆者:坂下 泰幸

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1件のコメント

  1. 社内新人研修で、琵琶湖疎水を巡検した際、補足資料として活用させていただきました。
    ありがとうございます。

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