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土木遺産㉒ 王子橋 -京都宮津間車道の遺構

土木遺産㉒ 王子橋 -京都宮津間車道の遺構

土木遺産㉒ 王子橋 -京都宮津間車道の遺構

2022.1.6

歩行者用の橋梁として現用されている王子橋

 北垣国道と田辺朔郎といえば琵琶湖疏水の生みの親として著名だが、彼らが成し遂げたもうひとつの偉業が京都宮津間車道である。

 1876(明治9)年第2次府県統合で、豊岡県が分割されて丹後国と丹波国天田郡が京都府に編入された。この結果、京都府は山城から丹後までの南北に長いエリアを有することになったので、その一体化と経済活動の活性化のために、荷車の通行に便利な車道が必要と考えられたのだった。工事は81年から開始され、すべて完成したのは89年。工費は31.8万円余を要した。その一部には住民からの寄付金約3.8万円と国庫補助金8万円が充てられた(京都府「京都宮津間車道開鑿工事成蹟表」による)。道路に対する国からの補助制度は1880年に廃止されており、本事業が補助金を受給できたのは北垣が松方内務卿に要望(「塵海」明治15年7月11日の記述による)するなどして特別に獲得したものと考えられる。

 京都宮津間車道はその後の国道9号、175号、178号に踏襲され拡幅等の改修が加えられたため、当時の構造物が失われていることが多い。その中でも栗田(くんだ)峠を抜ける撥雲洞と亀岡市の王子橋は現在も供用されており、その歴史的価値が高く評価されている。

王子橋は亀岡市篠町で桂川支流鵜ノ川に架かる花崗岩のアーチ橋。橋長15間4尺(約28.5m)というのは九州以外では最長という。通常、石造アーチ橋では主構造たる輪石には大きな石が用いられるが、ここでは小さな石を組み合わせて盾状に整えてある。コストの縮減が図れる一方、入念な施工が必要だ。王子村の大工 山名乙次郎が請け負ったと伝えられる。

 王子橋は1969(昭和44)年まで国道9号の重交通に耐えてきたが、現在は隣接して新しい橋が架けられ本橋は歩行者用に使用されている。2007(平成19)年に土木学会選奨土木遺産に認定された。現地にはその銘板と1933年に高欄を改修した際に取り外された親柱が展示されるとともに、自治会が清掃等の美化活動に取り組んでいることが紹介されている。地元の想いに支えられて長寿を重ねる王子橋の背後には、京都縦貫道の大きなコンクリートアーチ橋が鵜ノ川をまたいでいた。

 

(参考) 坂下泰幸「関西の公共事業・土木遺産探訪[第3集]」(北斗書房)p76

 

図1 京都宮津間車道の概要
図2 小さな石を組み合わせて盾状に成型した輪石
図3 橋詰めに建つ案内標、左が選奨土木遺産の銘板

筆者:坂下 泰幸

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