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土木遺産⑬ 今も記憶に残る外国人技術者の貢献(2) -不動川砂防施設(デ・レーケ堰堤)

土木遺産⑬ 今も記憶に残る外国人技術者の貢献(2) -不動川砂防施設(デ・レーケ堰堤)

2021.5.14

デ・レーケ堰堤により整えられた渓流に入る子どもたち

 明治政府の招聘を受けて1873(明治6)年に来日したエッセルとデ・レーケに与えられた最初のミッションは大阪港の改修と京都までの淀川の航路開削であった。しかし、淀川河口の堆砂を見た彼らは、上流からの土砂流出を止めるのが先だと考え、琵琶湖や木津川に流れ込む支流を巡察して土砂が崩れる様子を観察した。そして、16種の工法を試験施工した結果、わらを押さえ込んで山腹の崩壊地を覆うとともに渓流に砂防堰堤を築造するという砂防工法を提唱した。

 

 不動川において彼らが指導した砂防工事の全容は明らかでないが、京都府が1982(昭和57)年から87年にかけて不動川上流の相谷川の延長433.3mで砂防環境整備事業を実施し、ここにおいて8基の堰堤の存在が確認されて保存が図られている。これらは1997(平成9)年に京都府文化財保護条例に基づく指定文化財になっている。事業エリアは不動川砂防歴史公園として一般に開放され、多くの人が訪れる。
本稿で紹介した不動川砂防施設は、デ・レーケらによって提唱された近代砂防技術が始めて適用されたものでとして貴重である上に、その歴史的価値を伝えるために良好に周辺整備が行われている点で評価に値する。

 

図-1 不動川砂防歴史公園にあるデ・レーケの胸像1)
図-2相谷池を形成する不動川で最大の堰堤はデ・レーケの指導を受けた市川義方2)が建設した

 

 

1) 日蘭修交400周年を記念して2000(平成12)年に設置されたもの。この年には両国で約700の記念行事が催され、明仁天皇・美智子皇后が渡蘭されヴィレム・アレクサンダー皇太子が来日されるなど活発な活動が展開された。デ・レーケとエッセルの子孫も招かれた。
2)1826(文政9)年に伏見に生まれ、1868(慶応4)年に京都府の技官になって木津川改修や童仙房開墾に携わる。わが国の造園技術をもとに淀川流域の風土にマッチした山腹砂防工法を考案した。著書に「水理真宝」、「砂防工演義」。

 

筆者:坂下 泰幸

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