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土木遺産⑰ 木津川中流の2本の潜水橋

土木遺産⑰ 木津川中流の2本の潜水橋

2021.8.13

飛鳥路地区を結ぶ町営マイクロバスが走る潜没橋

橋梁のさまざまな分類のひとつに「潜水橋」というのがある。橋面が高水位より低い橋のことで、従って洪水時には橋が水中に没することになる。対義語は「抜水橋」である。潜水橋は、増水すると橋として機能しなくなるという欠点を持ち、また、洪水時に流水の障害にならないように高欄などの転落防止設備を持たないものが多い。災害時にも安全な道路を維持する必要が認識され架橋技術も向上してきた現代においては新たに採用されない形式であり、抜水橋への架け替えも進んでいる。

図-1 本稿で紹介する2本の潜水橋

本稿で紹介する潜水橋のひとつは、JR関西本線大河原駅近くの「恋路橋」である(図-2)。戦時中に亜炭1)を搬送するために急設された橋で、橋長約95.3m、幅約3.6m。長さ約4.4m、幅約0.5m、厚さ約0.5mの大きさに加工した石材を120本使用した。簡易な構造ではあったが名張川流域の諸地域を国道163号と結ぶという重要な役割を負っていた。しかし、1968(昭和43)年に高山ダム2)建設に伴う公共補償により上流に抜水橋である大河原大橋が建設されたことにより、その重要な役割を譲って今は地域の利用に供されている。

図-2 今はもっぱら地域の利用に供されている恋路橋
図-3 裏面から見ると床版に石材を使用していることが明らかである

もう一つの潜水橋は、隣の笠置町にある「潜没橋(沈下橋)」である(表題の写真)。飛鳥路地区に向かう町営マイクロバスが走る。RC連続床版橋39.9mとPC単純プレテンション床版橋60.1mから成る。幅員約2.8mという小規模なものだが、橋長は町が管理する橋では最長だと言うことだ。1962(昭和37)年の架橋で潜水橋としては比較的新しい。この橋が通れないと飛鳥路地区から笠置町の中心に向かうには奈良市の柳生地区を経由するというとんでもない迂回が必要になる。地区にとっては重要な橋である。

1) 石炭の中で最も炭化の進んでいないもの。2~7千万年前に当たる新生代第三紀の森林を起源とする。浅くて柔らかい地層から採れるので掘りやすいというメリットはあるが、不純物や水分を多く含むため着火性が悪く得られる熱量も少ない。また、燃焼時に独特の臭気や大量の煤煙を出す。従って、戦後は都市ガスや石油などへの転換が進み、現在は燃料として用いられることはない。

2) 1953(昭和28)年の水害を契機に進められた淀川の総合開発計画の一環として、洪水調整・農業用水確保・上水道供給・水力発電を目的に、木津川支流名張川に計画されたダム。堤高64.0m、堤体積214,000m3の重力式アーチダムで、湛水面積260ha、有効貯水容量49,200,000m3である。京都府・奈良県・三重県にまたがる196世帯が水没する上、国の名勝に指定されている月ヶ瀬梅林の一部が水没することから調整に難航を極め、完成は1969(昭和44)年であった。木津川本流にはダム適地がないので、この後、名張川の上流に青蓮寺ダム(1970年)・室生ダム(1973年)・布目ダム(1991(平成3年)・比奈知ダム(1998年)が相次いで完成し、統合して運営されている。

筆者:坂下 泰幸

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