2021.11.17
1966(昭和41)年5月17日、姫路大博覧会の会場となった手柄山に向かって青と白のツートンカラーの車両が姫路駅前を出発した。姫路市営モノレールだ。その頃、わが国の諸都市は自動車交通の増大による交通渋滞と環境悪化に悩まされていた。姫路市も例外ではなかった。その解決の切り札として注目したのがモノレールだった。とりあえず博覧会場への足として建設し、順次 ネットワークを形成しようという考えだったらしい。ところが、博覧会が終わった後の営業はさんざんだった。市は「モノレール対策審議会」を設置して経営努力を重ねたが、はかばかしい成果は見られず74年に運行を停止した。運行したのは8年間に過ぎなかった。
廃止されたモノレールの橋脚や桁はそのまま放置される期間が長かったが、終点の手柄山駅は2011年から手柄山交流ステーションとしてオープン。モノレールの駅と車両が展示されている。軌道桁に設置された1本の鉄製レールの上を鉄輪の車両が走るというロッキード式の特徴をわかりやすく見せているのがよい。
姫路市営モノレールが運行を停止したのと同じ74年、建設省(当時)は、都市モノレールの整備を促進するため、モノレールの橋脚や桁を道路として扱い道路予算で補助するという画期的な制度を創設した。その後、これを活用して北九州市小倉北区、千葉市などに都市モノレールが建設されていくのである。
(参考) 坂下 泰幸「関西の公共事業・土木遺産探訪[第1集]」(北斗書房) p153
筆者:坂下 泰幸
あわせて読みたい記事