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昭和レトロ探訪① 新しいけど懐かしい ~国電103系~

昭和レトロ探訪① 新しいけど懐かしい ~国電103系~

昭和レトロ探訪① 新しいけど懐かしい ~国電103系~

2022.2.15

 ノスタルジーを何に感じるか、いつの時代に感じるかは人それぞれだと思われます。古ければ全て懐かしさを感じるのか、どれくらい古いモノに懐かしさを感じるのかは千差万別。戦前なのか、戦後なのかでも大きく違いますし、あまりに遠い昔、つまり自分の生まれる以前については懐かしいとは感じない人が多いのではないでしょうか。しかし昨今は「昭和」が懐かしいというブームが見受けられます。平成生まれや昭和60年代生まれの若い人にとっては「昭和」は生まれる以前か記憶の無い世界。にも関わらず昭和を「懐かしい」と感じる若い人にとっては懐かしさ以前に「新発見」の要素が多いのかと思われます。

 そもそも「懐かしい昭和」というジャンルは相当以前からありました。戦後復興から高度成長期、そして昭和39年の東京オリンピックや東海道新幹線の開通あたりまでの昭和です。映画「ALWAYS 3丁目の夕日」等はその懐かしい昭和を題材にしたものとしてヒットしたのはご存じの通り。東京タワー建設中の昭和30年代の東京下町を題材にし、「もはや戦後ではない」と言われた時代です。大量生産・大量消費、大きいことはいいことだ、集団就職で地方から都会へ… まさにザ・昭和な時代です。

 都会は郊外へ広がり郊外から都心への通勤ラッシュ。その大量輸送を担う為に生まれたのが第1回に探訪する今回の主役、工業遺産の色濃い「日本国有鉄道 103系電車」、通称「国電103系」。過去の遺産かと思いきや、実はまだ現役で使用されているのです。しかも関西でのみ、ごく少数で。

 戦後の大量輸送を支える為、驚くほどのスピードで蒸気機関から電化が図られることになりました。そして電化区間には旧鉄道省の電車「省電」が投入されます。一般的に都市近郊の旧性能電車で鋼板と木材混合で作られ、色もくすんだ茶色。外装はリベットむき出しの旧態然とした電車でした。地方では蒸気機関車と気動車は主役でしたが、都市近郊では私鉄が新性能電車を次々と投入していました。時は高度成長の真っただ中。鉄道省も日本国有鉄道に改められ、その国鉄が開発したのが1957年(昭和32年)に登場した、直流型新性能電車101系です。

 しかし、最新型の101系でさえ増大する大量輸送による輸送力増強には性能が追い付かず、当時の国鉄の電気設備や保守に適し、しかも経済面での効率も鑑みた結果、数々の試験を繰り返し改良されたのが1963年(昭和38年)に登場した「国電103系」です。実際の本格運用は1964年からですので、東海道新幹線開業と共に国鉄の代表的電車としてデビューしました。誰もが知っている通勤電車です。関西では大阪環状線のオレンジがシンボル的でしたが、東京ではスカイブルー、ウグイス(緑)、カナリア(黄色)が路線によって使い分けられていました。関西でも東海道・山陽ではブルー、阪和線では緑のご記憶がある読者も多いと思います。

103系電車。JR奈良駅にて。前面の警戒線(白線)はJRになってから加えられた塗装。
在りし日の環状線103系最終型。高運転台仕様。客室窓も201系と共通に改良されている。

 

 1984年(昭和59年)までの21年間に約3500両が製造され、国鉄最大の車両数を誇る通勤電車「国電」として活躍しました。恐らく一度も乗ったことの無い国民のほうが少ないのではないでしょうか。

 それほどの大所帯である国電103系でありますが1981年(昭和56年)から量産された新しい201系に順次置き換わり、1987年(昭和62年)に国鉄が分割民営化された頃から急激に数を減らすこととなります。大阪環状線でもしばらくは混合で運行されていましたが2017年に103系は無くなり、2019年6月に「オレンジ色の環状線電車」が全て無くなったとの報道時には全てが201系の車両電車でした。現在、環状線で活躍した国電103系(オレンジ色)は1両のみ京都鉄道博物館に展示されています。

 全国で国電103系は絶滅の危機にありますが、関西では奈良線の2編成(ウグイス色=緑)と和田岬線の1編成(スカイブルー)で現役運行されています。改良個所はシールドビーム2灯化や運転台アルミ窓枠、白色前面警戒線設置等にとどまり、ほぼ製造時のオリジナルの懐かしい昭和の面影そのままです。関東在住の方はこの103系を見てびっくりされます。まさか自分が通学や通勤で毎日乗った国電が未だに現役で使われている等、全く考えてもいなかったと。

103系の内部。モケットは張替えられ、ドアの戸袋窓は埋められているが、ほぼ当時のまま。

 

 奈良線では2編成が毎日運行されていますので(令和4年2月現在)、駅によってはこの103系2編成が並ぶこともあり、一瞬時代が昭和にタイムスリップしたかのような郷愁にとらわれます。しかしながら奈良線の103系も老朽化には勝てず廃車による置き換えの話も常に聞こえてきます。そのせいでしょうか2~3年前から鉄道ファンが撮影に多数訪れています。筆者は奈良線沿線に在住している関係で普段から通勤に使用していますが、撮影者の姿を見ない日はありません。

 興味の無い利用者は「何で通勤電車がそんなに珍しいのか???」といった面持ちで眺めていますが、そういった感覚になるほど溶け込んでいるのが昭和という時代の産物ではないのでしょうか。無くなってしばらくすると猛烈に懐かしく思えるモノ・・・知らぬ間に見かけなくなり、よくよく考えたら随分と昔から生活に密着していたもの・・・そんな昭和はどんどん消えていっているようです。国電103系の後継車両である201系でさえ実は関西でしか見かけない「昭和の遺物」となり、2024年には全て無くなる予定です。

国鉄時代からの扇風機。蛍光灯の車内照明。まさに「ザ・国電」な面影を残す車内。

 

 何気なく見ていた国電ですが実は「最後の国電」103系。関西在住の読者の皆さん、コロナが落ち着いたら、是非感染対策に気をつけて乗りに行かれてはいかがでしょうか。

 きっと懐かしい昭和に触れることが出来ると思います。そして忘れていた記憶の底から何かを発見してみませんか。

クハ103系の運転台。中央の運転支援装置以外は製造時のまま。木製グリップのブレーキレバーが時代を感じさせる。(奈良線 新田~城陽 間  2021年12月撮影)

 

懐かしい昭和をテーマにお送りする昭和レトロ探訪 第1回目は昭和の工業遺産「国電」を紹介いたしました。

第2回は”築100年の駅舎”を紹介する予定です。乞うご期待!

筆者:藤井 徹

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