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土木遺産⑪ わが国に残る最古の煉瓦トンネル-鐘ヶ坂隧道

土木遺産⑪ わが国に残る最古の煉瓦トンネル-鐘ヶ坂隧道

2021.4.7

築造当時の面影を残す鐘ヶ坂隧道の篠山側坑

 

 

 兵庫県の多紀郡(現在の丹波篠山市)と氷上郡(現在の丹波市)の境にある鐘ヶ坂峠は丹波街道の難所であり、ために物資の輸送に不便をきたしていた。これを克服しようと、当時の氷上郡長 田 艇吉1)が多紀郡長 園田 多祐らと協議して、1879(明治12)年に県道を荷車が通れるように改修してトンネルを建設する事業を発起。翌年12月に請願が許可されて工事に着手し83年9月に完成した。このトンネルが「鐘ヶ坂隧道」だ。わが国に残る最古の煉瓦造りトンネルで、完成時の諸元は延長147間(約267.2m)、幅員13尺6寸~15尺(約4.1~4.5m)、天頂部の高さ11~14尺(約3.6~4.2m)。自動車のない時代としては高規格であった。

 煉瓦は、北麓の柏原(かいばら)町に特設した3基の窯で、鹿児島から呼び寄せた職人が焼成した。全長のうち84間に煉瓦を巻いた。掘削は大阪の藤田組が請け負った。従事した作業員は6万3,000人。両坑口は石材で築かれた。工費は約4万円で、その半分は両郡の有志の寄付によったという。

 

 JR福知山線の柏原駅から東南に進むと鐘ヶ坂隧道に至る。一見して(図-2)、坑門が扁額を残して厚さ50cmほどのコンクリートで固められているのに気づく。これは、バスを通すために1943(昭和18)年にトンネルを1.7m掘り下げるという改築を行ったところ、坑門工が不安定になったのでコンクリートで補修したということのようだ。内部はすべて煉瓦造りで、おもしろいことに坑口からしばらくの間はトンネルの高さが連続的に変化するように薄く加工した煉瓦をはさんでいる(図-3)。

 

篠山側坑口は標題の写真のとおりで、大きな補修を受けずに元の面影を残している2)。こちらも内部は煉瓦造りであるが、煉瓦の厚みが柏原側より大きく、後年の追築であることが伺われる。

 

図-1 柏原側には太政大臣三条 実美の揮毫による「鑿山化居」(上)、
篠山側には有栖川宮熾仁親王の揮毫による「事成自同」の扁額が
掲げられている

 

図-2 厚いコンクリートで補強された柏原側のポータル、その奥から扁額が覗く
図-3 薄く加工したバチ型の煉瓦を挟んだ側壁、写真の右が坑口側

 

 

1) 田 艇吉(1852(嘉永5)~1938(昭和13)年)は、氷上郡柏原藩下小倉村の大庄屋の家に生まれ、若くして村の自治に携わって1879(明治12)年に兵庫県会議員に当選。その後、氷上郡長などを歴任し衆議院議員も務めた。鐘ヶ坂隧道のほか、阪鶴鉄道(現在のJR福知山線)の敷設にも参画して代表取締役社長に就任している。このほか、帝国電灯・柏原合同銀行の創設など、経済面での丹波地方の近代化にも尽力した。JR柏原駅前に像が建つ。

 

2) 丹南町史編纂委員会「丹南町史」に収められた園田家所蔵の絵図によると、今はコンクリートでおおわれている柏原側の坑門も、扁額の文字が異なるだけで篠山側と同じデザインであった。

 

筆者:坂下 泰幸

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