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土木遺産㊴ 琵琶湖大橋

土木遺産㊴ 琵琶湖大橋

2023.5.30

ブルーの橋桁が湖面に映える琵琶湖大橋

 

琵琶湖は、滋賀県の中央部に存するわが国最大の淡水湖である。その面積約670km2は県の1/6を占める。広大な水面が水上輸送の便を提供したことから湖を取り囲む地域は古代から栄えたが、自動車が輸送の主力になるとともに琵琶湖はむしろ県土を分断する交通の障害とみなされるようになった。その中でも、鉄道や幹線道路が通じる湖南・湖東地域とそれらから離れた湖西地域の経済格差が顕著に見られ、湖西地域の1人当りの所得は県平均の76%に留まっていた。

県は、地域格差の是正を施策の最重点に取り上げ、経済活動の基盤となる道路交通網の充実を目指して、湖西地域と湖東地域を琵琶湖の最も幅の狭い滋賀郡堅田町と野洲郡守山町(いずれも当時)を結ぶ「琵琶湖大橋」の架橋に取り組んだ。

橋の長さは1,350mと当時のわが国の最長クラスの橋梁となることが見込まれた。これを有料道路として行おうと、まず、地方道路公社の設立を大蔵省1)等に協議したが、採算を理由に認められなかった。そのため、日本道路公団(当時)が行う有料道路とすることとして、架橋の前提となる県道守山堅田線の路線認定を1960年4月に行うとともに、交通量推計調査を道路公団に依頼した。道路公団は協力的だったようだ。一方で、水資源開発公団(当時)は、湖にダムを設置して水位を操作する案を披歴した(60年)。ダムの位置が架橋位置と同じだったため、ダムの上に道路を通せば効率的ではないかとの意見が大阪の経済界のみならず建設省からも出され、道路公団は撤退してしまった。県は、琵琶湖の水位を下げることは反対だったので、ダムと道路との一体案を否定して単独での架橋の途を模索した。この時点で、民間による建設も選択肢と考え、滋賀県にゆかりのあるヤンマーや伊藤忠に打診したこともあった。が、最終的には県が有料道路事業を行うことを決意し、「道路整備特別措置法」(昭和31年法律第7号)の許可を62年6月に申請し8月に受理した。

直後の11月5日、架橋地点に停泊させた「京阪丸」の船上で起工式が開催された。64年10月に予定されている東京オリンピックを契機に訪日する観光客を、京都から比叡山を越えて県内各地に誘引することが期待されたので、それまでの2年足らずの間に工事は急ピッチで進められることとなった。本橋の技術的困難を認識していた県は、4月に東京大学 平井 敦、京都大学 小西 一郎、大阪大学 安宅 勝各教授に指導を委嘱しており、その指導を仰ぎつつ設計・施工を進めた。

架橋位置の地質は、「古琵琶湖層」と呼ばれる新期洪積層とその上に堆積した11~23mの沖積層からなる。洪積層は密な細砂層でN値2)も大きかったが、層厚が小さいため完全とは言えず、上下部工の軽量化が求められた。上部工は、地質と併せて風光への影響や早期完成などを勘案して形式が選定され、航路部は航路幅120m、桁下20mを確保すべく90m+150m+90mの3径間連続鋼箱桁橋とし、側径間は単純合成版桁橋を24連並べることとした。また、橋脚は主にラーメン形式を採用し、耐震と美観のため隔壁を設けた。

基礎工には、剛性の高い大口径鋼管杭(φ=1.2、1.5m)をひとつの基礎に最大16本使用する多柱式基礎を採用した。これだけの口径の鋼管杭は未経験のもので、航路部に近いP8地点において載荷試験を行って断面性能を確認している。また、施工のための築島が不要であることなどにより工期短縮・工費低減が図られることから多柱式基礎としたが、これは極めて先駆的なものでわが国で初めて採用する形式であった。杭の長さは40.0mに及んだ。施工にあたっては、杭頭の損傷防止に加えて琵琶湖の水産資源への影響も考慮して、ハンマーによる打撃ではなく振動式杭打機を用いた。振動式杭打機は当時の最新の工法で、しかも使用した機械は本事業のために開発された最大の規模を有するものだった。前例のない工事においてさまざまな技術的課題が生じた。その都度 現地で試験を行って検討しながら施工を続けた。そのひとつとして、より剛性を高めるため、鋼管内の土砂を掘削して鉄筋コンクリートに置き換える措置がとられた例が挙げられる。

上部工の架設においては、クレーン船の使用に限界があったため、航路部の架設には橋脚に設置したケーブルクレーンが活躍した。部材を台船で所定の位置まで曳航し、ケーブルで吊り上げて空中で高張力ボルトにて接合するのである。架設作業は高松宮宣仁親王と喜久子妃も視察した。

オリンピックに間に合うようにと大安の9月27日に開通式を挙行することは早くから決まっていた。関係者の努力により工事は着実に進み、高松宮殿下や河野大臣を迎えて予定どおりに開通式が行われた。

図1 道の駅「米プラザ」の一角に建つ谷口知事の跋文による記念碑

 

計画時点では、琵琶湖大橋の交通量は初年度で706台/日と見込まれていた。ところが供用してみると予想を大きく上回り、しかも年々増加していった。そこで、80年には、当初は採算性の厳しさから断念した自転車歩行者道を両側に設置する工事を行うとともに、取り付け道路の改良を行っている。さらに、1989(平成元)年からは4車線化にも着手し、旧橋の北に並行して2車線の橋梁を架設した(94年完成)。

図2 自転車歩行車道が追加されさらに4車線化もなされた現在の琵琶湖大橋

 

 ところで、有料道路の通行料金の決定原則のひとつに「償還主義」があり、道路の建設費や維持管理費を賄う料金額とすることとされている。当初は供用開始から25年後の1988年に所要の費用を償還して料金徴収を終えることとなっていた。その後、交通量の増大に対応して上記のような追加投資が行われたし、現在も橋脚の耐震補強などが進められていることから、要償還額が増加して料金徴収期間も延びてきた実態がある。滋賀県では、有識者からなる「琵琶湖大橋有料道路のあり方に関する研究会」を設置して料金のあり方について検討し、直ちに無料化することも可能ではあるとしながらも、今後とも適切な維持管理を継続する観点から値下げしつつ有料制を継続する方針を決定し、2016(平成28)年4月から25~33%の値下げに踏み切った。

図3 琵琶湖大橋の交通量の推移

 

 

 現状では琵琶湖大橋は良好に管理されているようだが、今後ともインフラを適切に管理して長期に渡り使用していくためには、維持管理の予算を措置していくことが必要だ。右肩上がりの成長が望めない今、それをどのように確保していくのか、むつかしい判断が求められる。

 

(参考文献) 滋賀県土木部「琵琶湖大橋建設記念誌」

 

1)地方的な幹線道路を有料道路として建設・管理する地方道路公社は、現在は「地方道路公社法」(昭和45年法律第82号)に基づき設立されるが、同法施行以前は財団法人として設立されていた。最初の地方道路公社は1959(昭和34)年12月設立の「静岡県道路公社」で、道路運送法に基づく一般自動車道である「伊豆スカイライン」の建設を目的とした(地方道路公社法の制定以前は、有料道路の建設・管理ができるのは道路関係公団と地方公共団体に限られており、財団法人である地方道路公社は一般自動車道事業を行っていた)。

 

2)地盤の強度を表す数値。JIS A1219「標準貫入試験」によって求められる数値で、63.5±0.5kgの重錘を76±1cmの高さから自由落下させ、試験用サンプラーを地盤に30cm打ち込ませるのに要する打撃回数をいう。

 

筆者:坂下 泰幸

 

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