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土木遺産⑭ 谷瀬の吊り橋- 住民が架けた日本一1)の生活用人道橋

土木遺産⑭ 谷瀬の吊り橋- 住民が架けた日本一1)の生活用人道橋

2021.5.31

右岸の谷瀬地区から見た谷瀬の吊り橋

 紀伊半島の中央に位置する十津川村は、面積672.38km2という日本一広い村だ。急峻な地形で、近年では2011(平成23)年の大水害で大きな被害を受けたことで知られる。山々を抉って流れる川に沿って集落が点在するので、集落に通じる吊り橋が村内に60以上あるという、日本一の吊り橋の多い村でもある。その中でも有名なのが、日常生活用として日本一長い全長297.5mの谷瀬の吊り橋。起点から終点まで6時間半を要する日本一長い路線バスに乗って訪ねてみよう。

 

 谷瀬の吊り橋は、国道168号に面し学校や商店のある上野地地区から十津川の対岸にある谷瀬地区に渡るもので、1954(昭和29)年に架けられた。それまでは、谷瀬の人々は、崖のようなところを70mほども降りて水面近くに渡された丸木橋を通り、また昇らなくてはならなかった。しかも、十津川は水害の著しいところで、丸木橋はしばしば流された。あまりの不便さに、架橋費用1,000万円のうち 800万円を地区が負担して吊り橋を架けたのである。各戸の拠出は20~30万円に達した。はがきが5円、たばこ(ゴールデンバット)が30円という時代だったから、現在価値にすると13~15倍くらいの額に相当しようか。
 橋から右岸側を見下ろすと、かなり広い河原があってキャンプ場になっている。かつてはここには集落があった。しかし、1889(明治22)年の洪水で十津川村は死者168人という大きな被害を受け、生活再建のむつかしい600戸、2,489人が政府の方針に従って北海道に移住した2)。谷瀬の吊り橋は、そんな十津川を一跨ぎすることによって自然の猛威と共存してきたのだ。この小さな橋に、安全・安心な生活を希求する人々の思いがずっしりと載っているのである。

 

図-1 幅1mの敷板を設置しただけの橋面
図-2 3本のストランドロープからなる当初の主索(メインケーブル)と1971(昭和46)年にその上に追加された主索
図-3 右岸側に広がるキャンプ場、かつてはここに集落があった

 

1) 歩行者用吊り橋としては、「三島スカイウォーク」(2015(平成27)年開設、主塔間長400m)、「九重”夢”大吊橋」(2006年、390m)、「竜神大吊橋」(1994年、375m)、「もみじ谷大吊橋」(1999年、320m)、「水の郷大吊り橋」(1995年、315m)などが長いことで知られているが、いずれも観光用。谷瀬の吊り橋はそれらに次ぐレベルの長さであるので、本橋を日常生活用として最長と表現した。
2) 1890(明治23)年に空知地方の徳富川流域に入植して1902年に新十津川村を興す。1957(昭和32)年に町制施行。十津川村を「母村」と呼んで交流を続け、同じ町(村)章を用いている。平成29(2017)年に奈良県も交えた3者で連携協定を結び、特産品の販売促進や観光情報発信について相互に協力してPR事業を行っている。

筆者:坂下 泰幸

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