2021.9.21
わが国の西洋式灯台は諸外国からの要求により建設した観音埼灯台(1869(明治2)年完成、神奈川県)を最初とするが、政府は灯台が自国船の航行にも有用であることを認識して独自の判断で灯台の建設を進めるようになった。本稿で紹介する立石岬灯台は、敦賀湾の北端の標高114mの岬に建つ。初点灯は81年7月。
この時期にこの地に灯台が建設されたのは、わが国の鉄道建設の歴史と大いに関係がある。維新直後の69年、政府は東西両京を結ぶ鉄道の建設を決定し、これと最も近い日本海側の港湾である敦賀に向けて琵琶湖から鉄道を優先的に敷設することも決定していた。しかしこの路線の選定は難航し、着工は80年までずれ込んだ。立石岬灯台も、同じ時期に敦賀港の活用のために建設されたのである。予想どおり、敦賀港はウラジオストックを経由してヨーロッパに向かう玄関として華やかな発展を遂げた。そして、この航路の安全を見守ったのが立石岬灯台であった。
敦賀市街からコミュニティバスで約40分。さらに山を登ると、まぶしいほどに真白に塗装された灯台が姿を見せる。高さ約8mという小ぶりな灯台であるが、その形は均整がとれて美しい。灯台の建設当時は、当地は船で生活物資を調達するしかない僻地だった。職員2名とその家族が駐在して灯台の維持・運用に当たった。現在は自動化されて、宿舎は解体されて礎石と井戸の跡だけを残す。
西洋式灯台の建設は当初は外国人の指導で行われたが、1880年頃からは日本人への技術移転が進んで外国人技術者は次々と解雇されていった。本灯台は、日本の技術者が独立して灯台を建設できるようになった節目を画する記念すべき作品だ。それが140年を経て未だ現役で活躍していることの感慨が、この灯台をいっそう美しく見せる。
筆者:坂下 泰幸
#土木遺産
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