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土木遺産㉓ 浜中津橋-わが国で最初の鉄道用錬鉄橋の生き残り

土木遺産㉓ 浜中津橋-わが国で最初の鉄道用錬鉄橋の生き残り

土木遺産㉓ 浜中津橋-わが国で最初の鉄道用錬鉄橋の生き残り

2022.2.8

十三小橋に隣接して架かる浜中津橋

 明治時代、橋梁に用いる鉄材は極めて貴重であり、当初の用途が不要になれば他に転用されることがしばしばあった。本稿ではその典型例として、国道176号の十三小橋に隣接する浜中津橋を取り上げる

 日本の鉄道は新橋~横浜間のものが最初であるが、六郷川橋梁を初めとしてすべての橋梁は木製の仮橋でスタートした。だから、日本の鉄道用鉄橋は、1874(明治7)年に開通した大阪~神戸間の下十三川橋、水戸川橋、下神崎川橋、 武庫川橋が最初である。いずれも橋長70ftのポニーワーレントラスで、イギリスから輸入された。材質は錬鉄である。最終的には複線用として使えるように設計されたが、当初は単線で開通させたので、側部用といずれ中央になる用との2列の主構で構成した。1896年に複線化が実現した際に追加された3列目の側部用トラスは神戸工場で製作され、最初の設計思想を生かして錬鉄が使われた。

図1 新淀川開削以前の淀川水系と下十三川橋の位置(明治18年測図国土地理院旧版地図に着色)

 

ところがここで下十三川橋には思わぬ転機が訪れる。新淀川の開削である。下十三川橋梁の9連(27構)は1900年頃撤去され、1909年開通の道路の長柄橋へ11連(22構)が転用されたほか、十三大橋の中津運河部(十三小橋)へも1連(2構)が転用された。これが、十三大橋の架替えにともなって、1935(昭和10)年、すぐ近くの付替え道路に再転用された。浜中津橋である。

継ぎ足し延長を行ったほか若干の補強を施しているが、全体の形態は鉄道橋の時と大きくは損なわれていない。橋長 22.4m 橋幅 4.5m。現在は、トラスの保護のため、アルミ製の手すりが取り付けられている。2本の主構が元の鉄道橋の中央用、当初の側部用、追加の側部用のいずれかという点については、下流側のものは明らかに太く中央用、また上流側のものは細部の施工の相違などから追加の側部用のものと、それぞれ判断されている。

図2 下十三川橋の主構の転用経緯

 

 

表1 浜中津橋の下流側と上流側の主構の比較

 本橋が架かっている旧中津運河では、淀川左岸線(2期)事業が進んでおり、いずれ本橋が撤去されるのは必定である。将来の保存・活用が期待される。

筆者:坂下 泰幸

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