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土木遺産⑦ 不老橋-関西では珍しい石造アーチ橋

土木遺産⑦ 不老橋-関西では珍しい石造アーチ橋

2021.1.29

名勝和歌の浦に残る不老橋(L=12.55m、W=4.14m)

 アーチ橋とは弓なりに反った躯体で荷重を支える橋梁形式で、中国でもヨーロッパでも古くから知られていた。一方、わが国では1643(寛永20)年に長崎市に架けられた石造の眼鏡橋(L=22m)が最初1)であるが、これは明から来朝した黙子如定(もくすにょじょう)が故国から呼び寄せた石工に架けさせたもの。その後、これをモデルに日本人による石橋も架けられた。また、オランダ人から得た知識を継承した岩永三五郎が、雄亀滝(おけだけ)橋(熊本県美里町、1817(文化14)年、L=14m)を手始めに熊本・鹿児島・大分などに石造アーチ橋をいくつも架けたことがよく知られている。しかしその技法は石工集団の秘伝とされたため、石造アーチ橋が九州の外に広まることはなかった。

 

 今回紹介する不老橋は和歌山市和歌浦にある。紀州東照宮御旅所の移築に伴って、紀州藩主の命により1851(嘉永4)年に架設されたもの。石造アーチ橋が当地に建設された経緯は明らかでないが、伝承ではアーチ部分は肥後の石工集団が施工したということだ。最も内側の輪石には四角く整形した石を使い、その他の壁石は不規格な石を隙間なく組合せている。高欄は紀州藩のご用を承っていた湯浅の石屋忠兵衛によるとされており、雲を文様化したレリーフを施すなど高度に装飾的だ。地震や台風による被害を受けて後世の補修・補強もなされているが、架橋当時の姿をよく残している

(参考文献) 和歌浦を考える会「和歌の浦 不老橋」

 

図-1 橋の端部が階段になっているのは地盤が沈下したためと考えられているが、逆にこのことは橋がしっかりした基礎の上に建っていることを推測させる
図-2 壁石には若干のゆるみが見られるものの輪石は170年を経ても寸分の狂いもない
図-3 石屋忠兵衛による渾身のレリーフ

1)当時は琉球王国であった沖縄では、1502(尚真王26)年に那覇市の円覚寺に「天女橋」(L=9.4m)が架けられ、これが現存するわが国最古の石造アーチ橋である。

 

筆者:坂下 泰幸

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